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仏は像か心か

 2009-01-25
タイトルの日本語がどうも怪しいところだが、仏を信じる者ならそれは何かのモノまたはどこかに存在することではなく重要なのがその思想だということだ。

しかし、ネパールの人々にとってはお釈迦様の生誕地が現在のネパールだというのが、一つのアイデンティティである。日本でもこれに関して誤解があることは非常に心苦しいことである。先日あるお寺のお坊さんに意地悪で釈迦の生誕地について尋ねたところ、「インド北部」と答えられた。それで間違いはないのだが、ネパールという独立国家がそこにある以上ネパールというのが礼儀である。

先週、とあるインド映画でも「釈迦が生まれた国インド」という一行があり、抗議デモが勃発。結局その映画はネパールで放映禁止となった。ネパールではインド映画がネパール映画より人気なのだが、そのような文化的な支配よりもネパールで釈尊が生まれた事実や「ネパールはインドの一部だ」というような発言が顰蹙(ひんしゅく)を買ってきた。

隣国に巨大国がある以上、自分の独立を維持していくためにはネパールは一つとしてまとまっていく必要がある。ネパールを統一したPrithvi Narayan Shah大国王の教えである。しかし、現在の民族による連邦制はどうもまとまっていくどころか、拡散していっている気がして仕方がない。各民族が自分の自治を求める運動が盛んになりつつあるのだ。先日も書いたように同じ地域で区分の要求が異なると大変なことで、流血も予想できる。

連邦制への動きが進んでいる今、「ネパール国民」とは何か、そのアイデンティティは何かを考える時期に来ている。



ちなみに、ネパールでも日本みたいにセレモニアル王政を残したらどうかという意見もあるが、日本の文脈で語られる天皇とネパールの(元)国王は違うと思う。ネパールの国王はあるシャハ民族出身であり、多民族国家ネパールの全国民がそれを支持しているわけではない。しかも、国民のことを考えない国王の歴史が続いているわけである。特にネパールの最後の国王がその悪行で有名だったことが、セレモニアル王政を残せなかった最大の要因である。



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