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震災の日に思ふ

 2010-01-17
15年前の今日、今僕が住んでいる町を直下型地震が襲った。来日していなかったが、テレビでその悲惨な状況を見て、地震の恐ろしさを知った。震災から15年の町に住んでいるが、町は驚くほど復興している。人間の力はスゴイものだ。
でも、震災の日に、なぜか毎年異様な静けさを感じる。昨日は特別にそうだった。日曜日とセンター試験が重なったせいもあるだろう。車の数が少なく、大学も余計に静かだった。あまり落ち着かなかったのでHAT神戸にある震災被害者の慰霊碑に黙祷を捧げてきた。

ネパールにも近未来、大地震が直撃すると予言されている。約70年前にマグニチュード8級の地震がネパールを襲っており、その周期で、ここ数年で大規模な地震が起きてもおかしくないというのだ。ハイチ大地震で死者20万人とも言われているが、ネパールでも同じような地震が起きれば死者30万人を超えると専門家は指摘している。

数年前から、昨日(1月16日)が防災(震)の日としてネパールでは地震対策を呼び掛けている。しかし、拝金主義が蔓延る現在のネパール(特に首都カトマンドゥ)では、天災を意識しない投資が目立つ。必要以上に、また規定を破ってまで、大きな建物を建てる傾向が盛んである。もちろん耐震など十分に配慮されていない。仕事がないため、投資できる人にとっては、建物は、賃貸料を得る大きな収入源なのだ。不安定な行政は、無造作に増える・増築される建物を取り締まることもできていない。

日本などの先進国の援助を得て、減災のための教育は実施されているが、外部からの援助は必要層に届かないことで有名である。もちろん、今を生きることで精一杯の人たちに、いつ起こるかわからない震災について考えろうと言っても無理な話である。それでもこのような援助の効果が表れ、少しでも傷みが弱い震災を祈るしかない。

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感覚の違い

 2010-02-12
ご無沙汰しております。公私と色々ありまして、ブログ更新をできずにいました。一応、ネパールのニュース関連はTWITTERで呟いています。フォローして下さっている方、どうもありがとうございます。
しかっし、久しぶりに記事を投稿するのは、やっぱりなかなかきっかけがないとできないものですね。そこで、ちょっと前になりますが、ネパール在住のブロガー・姉さん(ディディ)からの呟きからの話題です。
すでに、ディディは、「感覚の違いということ」で記事にしていますので、まだ見てない方はどうぞ参照して下さい。

要は、ネパール(カトマンズ)では、冬でもできるだけ暖房を使わないが、それは日本人とネパール人の感覚の違いということ。
ディディが指摘しているように、僕もカトマンズにいたころ、冬でもあまり暖房をつけることはなく、上に何枚か着込むことで冬は過ごしていた。昼ならば、日本のように風が吹かないので、そんなに着込まなくても良いぐらいの冬の天候です。あの、昼の日向ぼっこしながらの世間話は何よりも懐かしい。

カトマンズの伝統的な家は、土・煉瓦でできており、冬は暖かくて、夏は涼しい。電気だって、ここ20年ぐらいでやっと普及しましたが(現在11時間停電ですが)、それ以前は日が昇れば起き、沈めば寝ていました。このような生活習慣には、一番寒いと感じる、夜のための暖房設備が必要ない。大変寒い日は、もちろん湯たんぽをしたり、焚き火をしていました。例えば、今日はちょうどシバ・ラトリー、一年に一番寒い日で、必ず焚き火していました。
このような伝統的な生活習慣もあったことが感覚の違いを生む背景ではないかと思ったりします。

しかし、近代化とともに、生活が急変。伝統的な家など急激に減少。セメントや鉄骨でできた家で住んでいる人が増えています。セメントの家は、伝統的な家と対照的に冬は足元から寒い、夏は頭から暑い。近代化とともに、住居が変わっても、今までしてきた生活習慣を通し、冬の寒さの感覚が病的であれば、ちょっと問題かも知れません。

ちなみに、僕も来日して数年は、冬は靴下を履かずにいました。しかし、数年で足からの寒さが身に染みてわかり。ちゃんと防寒対策をするようになりました。


「閉塞感」漂う時代

 2010-05-05
世間ではゴールデン・ウィーク。今日は最終日の「子どもの日」。
「子どもの日」と言えば、未来を考える日でもないかと思う。
子どもが未来を背負っているわけだから。

しかし、どうも子どもを取り巻く状況をみると
「閉塞感」漂う時代ではないかと思いたくなる。

ネパールでは、ゼネスト4日目。将来の見通しが立たないまま日々が過ぎている。
子どもたちは学校も行けず、家で暇つぶし。
テレビでもみているのか。。。
友だちを集め、車がない道路に思いっきり遊んでいるのだろうか。。。
それとも、ストライキ実行を手伝わされているのか。。。
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(スト期間中に動く車のタイヤーの空気を抜く子ども)

子どもは、大人から学んでいる。
「学校」だけが学びの場ではない。
しかし、学校化した社会では、
学校にいけないことは
将来に響いてくる。
毎日どこかでストライキが起こり、
子どもが借り出され、
ストライキ実行に手伝わされる社会の
子どもの将来がどのようなものになるのかを
考えるだけで嫌気がさす。

一方、日本はどうか。
毎年の自殺者が3万人。昨日の毎日新聞で、
ダライ・ラマ14世は「祈りだけで問題は解決しない」と断言し、
「次世代のために内なる価値観を重視する教育システムが必要」と語っている。
(参考:毎日.jp)
同感だ。
ネパールでは、行きたくても学校にいけない状況なのに、
日本には不登校者が約13万人にも上る。

政治、効率を求める経済に翻弄され、
将来につなげること、
次世代に借金ではなく貯蓄を残すことを
できないのはネパールでも日本でも同じ。

仕事柄(研究柄というべきなのか)、熱い人たちによく出会う。
国際協力を通して、日本の存在感を示したい人。
開発途上国と日本でWin-Winの関係をつくりたい人。
日本の学術会をよりよいものにしたい人。
子どもひとりひとりに学力を保障するために頑張っている人。
日本を中心に書いてみたが、ネパールのために頑張っている人もたくさんいる。

私も自分にできることをしていく。このような情報発信もそのひとつ。
こんな歌でも聴きながら。



ネパール学術ネットワークを通して「つなげる」

 2010-05-17
土曜日は、ネパール学術ネットワークの第一回大会を京都大学で開催。
各報告の要旨はネットワークのホームページで掲載するように進めているが、
全体を通して面白い発表が多かった。

ネパール学術ネットワークは、基本的に「つなぐ」ことを目的として作られた組織。
日本において、ネパールについて研究している研究者がちょっとした分野やアプローチの違いで
お互いのことを知らない。
ネパール人研究者同士では、とりわけそうである。
ネパール社会における民族・カースト問題が
在日ネパール人社会、有識者でも存在すると感じる。
ネットワークを通して、少なくとも「学術」的な場において交流できればいいのではないかと
ひっそり企んでいるのだが、残念ながら今回の大会ではネパール人参加者は発表者を含んでも
「4人」と少ない人数だった。
今後の課題として、また取り組んでいきたいと思う。

ネパールに42年間医療活動を続けていらっしゃる石田先生のまとめを借りれば、
より効果的なプロジェクトのためには研究分野間の協力が重要である。
個人的には、研究には多面的な視点が重要だと思う。
石田先生に指摘されたように、ネパール学術ネットワークは引き続き
研究分野間の協力に取り組んでいく。

祭りが始まった

 2010-05-18
昨日からパタンのマッチェンドラナートの祭り(詳細は過去の記事を参照して下さい。)が始まった。
ここで何回も書いているが、ネパールは祭りの国。

政局での祭りの不安・不満を、日々の祭りを通して解消しているといっても過言ではない。
暫定憲法の期限が切れるまで後9日、未だ政党は合意に達していないと
つい政局が気になってしまう。

現在は未来への一過程。ネパールの未来はどのようなものになろうとしているのかよくわからない今日この頃。未来を知るのは不可能。嘆きばかりではどうにもならないことは知っているが、現在の過程を大事にしてもらいたい。

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希望と絶望は紙一重

 2010-08-29
タイトルに書いたことは今回の一時帰国で思ったことである。
現在のネパールは、政治的な混乱を筆頭に問題が山積みされている国である。
しかもほぼ全ての問題が政治問題から起因・終焉しているのが恐ろしい。
現在の首相が決まらない状況でネパールはますます無法地帯化しており、
ヤクザが支配する国となりつつある。

不動産業を中心に一軒盛んにみえる経済活動は、
個人レベルでみるとあまり望ましくない方向に進んでいることを実感した。
税制が厳しくなり、投資ができなくなっているという声を何回も聞いた。
その割に、税金を納めることによって確保されるべき
安全や他サービスが提供されてないことが嘆かれていた。

また、政府が不在な状況の中で格差がますます広がっている。
カンティプール紙で読んだのだが、現ネパールでは
裕福層が10万人、中産階級が600万人、
そしてなんと貧困層が2010万人もいる。
マオイストが支持を集めるのは、
このような貧困層の多さのためであるが、
マオイスト上層部のブルジョア的生活からは
彼らが何のために政治をやっているのかよくわからない。

中産階級を支えているのは「出稼ぎ」である。
しかし、それが今までの家族や社会の形態に変化をもたらしている。
「崩壊する家族」としてそのような変化を完全に否定したくはないが、
肯定するつもりもない。
このような変化に伴って、
農村では従来の男性による農業活動を女性が行うようになっていることは
よくニュースにもなっているが、
今後都心部を中心に老人の看病問題など
新たな社会問題が次々と現れることだろう。

まさに絶望する状況である。

しかし、絶望の中でしか希望が生まれない。
モノは見方である。

政治混乱を一つのプロセスと考えれば、
このようなプロセスを通してしか民主化が成熟しない。
民主的な価値がこのようなプロセスを通して成立すれば
それはそれで良し。

「出稼ぎ」を頭脳流出と捉えることもできるが、
「将来への投資」として捉えることもできる。
実際アフリカ諸国の一部では過去に海外に出稼ぎ・留学していた
人材が帰国したため、現在急速な経済発展を遂げている。

また、このような絶望で中でこそ様々な実践や改善の試みが個人や市民社会レベルでなされている。
僻地における情報技術整備が一個人から始まったことだし、
教育分野においては民間の雑誌が新たな可能性を展開している。

我々、ネパールの状況を見守り、良い変化を期待している人たちにとっては、
このようなネパールの状況を懐疑的に分析し、
問題解決のために自分にできる如何なる些細なことでも
実践していくのが大事ではないかと思う今日この頃である。

良いお年を

 2010-12-31
2010年も今日で終わり。今年は博士論文の関係であまりブログを更新できずにいました。
それでも定期的にブログを覗いて下さった方々に感謝致します。

2010年、ネパールでは政局が混乱を極め、未だ首相が決まっていない状況だ。しかも、首相選が16回というギネス記録まで達成してしまった。その間、暫定政権のジャンボ閣僚は外遊や汚職を繰り返し、国民の血税を食いつぶしている。これには国民も呆れており、政治不信が増す一方である。このような状況を見て見ぬふりをしながら、主要三政党は政権争いをしてばかり。
2011年は、1月早々、ネパール軍と人民解放軍の統合を手伝うために駐在している国連のミッション(UNMIN)が撤退することが決まっており、和平プロセスの結論が主要三政党に委ねられる。果たして、それがどのような結果になるのか注目の集まるところだ。さらに、5月28日には暫定憲法の期限が切れるため、それまでに新憲法の制定がされるのだろうかも疑問である。
このような混乱な状況だが、2011年は観光年。どこまで成功するのか気になるところだ。
2011年はネパールにとって重要な一年となりそうだ。

私個人にとっても、来年は門出の年となりそうだ。
ツイッターでは、すでに様々なことに関して呟き始めているが、
ブログでも少し幅広く書いていくことを考えています。
自分の生活も守っていかなりといけないので
どこまで更新していけるか疑問ですが、来年もどうぞよろしくお願いします。

皆さんも良いお年を!
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