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選抜の日

 2008-06-23
今日ネパールで学校卒業試験(School Leaving Certificate: SLC)の結果が公開された。この試験は10学年(中学校)を卒業、かつ高校に入学するために大事な試験である。つまりネパールでは最大の選抜機能を持つ試験なのだ。これに6割以上の点数を取らずに将来高所得が得られる理工学系の高校・大学にはいけないし、学歴がすべてになりつつあるネパールではその基礎となる大事な試験なのだ。もう早この試験は子どもの学習度合を確かめる道具ではなく、試験自体が目的となりつつある。

親たちは自分の子どもがこれに合格するように高い私立学校に行かすなり、塾に通わすなりできる限りのことをする。裕福な親は十二分に子どもに良い学習環境を提供することができるが、貧しい家庭は全くその逆の状況が続いている。その結果もSLCの結果に表れており、裕福層が通う少数の私立学校が合格者の8割を示し、貧困層が便りにしている公立は残りの約2割でしかない。教育においても格差が拡大するばかりのネパールなのだ。

昨年からは試験内容を変更してコース内容を少なくしているため、毎年4割ぐらいしかいかない合格率が今年は6割を突破している。確かにコースの内容を減らすことによって合格者は増える、しかし高校進学に必要な基礎的な部分を試験内容から省いていいのか疑問に残る。
それに根本的な問題は、政府によりうまく経営されていない公教育制度と暗記中心の試験制度である。前者のままだとコースを減らしても公教育の質が上がらないし、教科書に書かれている通りの答えを書かなければ満点をもらえない状況では批判的能力が育たない。

新政権下では公教育内の予算配分、教員の雇用・研修形態、経営状況の改善など公教育の質改善のための教育改革、そしてSLC自体も暗記中心な形態から脱皮させる改革が必要だと思う。
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教育予算内容

 2008-09-21
マオイストが連立政権を樹立させた時、教育大臣の枠をマデシ人権フォラムに与えたことから
マオイストは教育に重点をおいてないように思えた。しかし、政府予算の内容と金額を見ている限り
かなり教育に重点をおいていることがわかる。
さて、この教育予算の中身は何か?

以下政府予算の教育部分の簡単な要約:

まず、政府は国民の大多数が通っている公立学校の低質、
また一方で私立学校での高価な授業料が格差を助長している状況を指摘。、
また国民の非識字(読み書きできない状況)を無くす必要性についても言及。

「新たなネパールの基礎:基本的な人権としての教育!」
*前年と比べ44・5%増の389億ルピーの教育予算。
*教育を憲法で保障する:アクセスの拡大、教育と生産をつなげるためにスキルベース
(職業教育の推薦)、収益の高い高等教育へ。
*今年度で初等教育の(純)就学率を91%に。宗教学校を積極的に活用。
*主婦や家事手伝いへの代替教育。(ノン・フォーマル教育)
*初等から高等までの様々な奨学金:9.7億ルピー
(また、内紛被害者や殉教者の家族向けの奨学金:15.5億ルピー)
*カルナリ郡(ネパール最貧郡)での給食活動の継続+食料調達困難な他の16郡へ拡大。
*教育予算の配分の管理を強化。また、今後は生徒の頭数によって予算配分。
(教員給与は約19.2億ルピー)
*学校建設やインフラ整備の責任を学校運営委員会へ。(予算:29億ルピー)
*教科書は3月中に各郡本部に届けられうようにする。(教科書印刷の独占廃止→民営化?)
*初等・前期中等(第8学年まで)の無償化。後期中等まではカルナリ郡、
また高校まではダリットへ無償に提供。給食活動を全国展開。
*職業・技術教育を中心に教育の構造を改革。(予算:4.8億ルピー)
*識字キャンペーン:3万5千人の識字ボランティアを雇用(予算14億ルピー)
*高等教育:農業・林業・畜産学関連の新たな大学設立、トリブワン大学キャンパスの拡大へ。
また、内紛で教育機会を得られなかった若者にも教育機会を提供する。(予算42億ルピー)

私立学校への課税:
月 5%の教育サービス税は授業料から徴収。低カーストや遠隔地に住む貧しい学生の教育に利用される。この税金を拒んだ者には全国試験に参加できないなどの厳しい措置が取られる。

(続)教育予算内容-感想

 2008-09-21
さて、まず目標高き今回の教育予算に拍手をおくりたい。
また、国内の教育状況を正確に把握されていることに一安心。
(もっと詳細な分析と対処が必要だが)

ただ、いくつか引っかかる点が:

1.全体を通して、詳細な目標達成方法が記されていない。例えば、奨学金制度の実施をどのようにするのか!?現在の社会階層に基づいてやるのか、それとも経済状況に基づいてやるのか?
これは各自の政策として別に発表されるものか少し気になった。

2.教育は生産の向上につながるという論理に基づいて教育の推進している要素があるように見れるが、教育は生産を向上させると実証されているわけではない。(個人的には教育を単の生産向上の手段としてみるとはいけないと思う。)もしも、生産向上・経済成長に失敗した場合「教育」にその責任転嫁するようになれば、真の「教育」はできないと思う。要するに、ある一時期の「生産向上」のためにしか考えない「教育」になってしまうのだ。

3.学校教育委員会の役割を強化しようということだが、これには慎重になるべきだ。先進国もそうだが、学校教育委員会への権限委譲によって引き起こされる困難はそう単純なものではない。例えば、学校運営委員会に学校を運営するキャパシティーはあるのか?資金運営を学校現場に移すことによって起きる汚職・縁故主義をどう対処するのか?

4.前期中等まで無償化することは別にいいと思うが、そもそも公立学校の質が低ければ無償でいける学年が増えても意味があるのか?公立小学校を卒業してもちゃんとネパール語の読み書きもできない子が山ほどいる。(そして私立学校では英語でしか読み書きできない子どもが。)政府としてはすぐに目に見えない質に重点を置くよりも、すぐに目に見えるアクセス面に重点をおいたことになる。

5.職業・技術教育は70年代実行をし、失敗をした政策。職業・技術教育は膨大な投資が必要な割に着ける職は徒弟制度でも学べる仕事とかだったりする。また、教育を受けたからにはデスクワーク仕事や専門職(医者・弁護士)などに就きたいという傾向も強い。政策の詳細が気になるとこだが、すでに失敗しているような政策であれば予算の無駄になる。

6.識字キャンペーンは肯定的に思うが、以前大学院生を利用した非常に有効なプロジェクトがあった。修士をとる学生に1年間遠隔地域の村にホームステイをしてもらい開発関連(識字を含む)の事業をやることが求められた(政治的な理由で中止)。今回もボランティアより学生の単位条件として学部レベルから導入すれば良いのではないかと思う。

7.最後に私立学校への課税についてだが、私立学校もピンからキリまである。公立学校の質の低下を受けて都心部を中心に所得の低い層向けの小さな私立学校から裕福層向けの高価な私立学校までが存在する。このような状況で同率の5%の課税は低所得者泣かせだ。

武力闘争と教員

 2008-10-24
マオイストが参政してから
教員の虐待・殺害のニュースが減少したと思っていたら
また最近教員の虐待・殺害が顕著になってきている。
主に、武力的に反政府運動を進めているネパール南部のことだ。
教員はコミュニティに一番近い公務員、
反政府組織からしたら行政に自分の力を
見せつける格好の餌食となる。
また、ネパールの教員のほとんどが政党活動をしていて
公務員というだけではなくどのような思想の下で
活動しているかによっても標的にされやすい。
(また異なる政治思想の衝突もある)
マオイストが反政府運動をしていた時も教員の
虐待・殺害は多かったものだ。
教員(また学生)の強制労働動員もあった。

一方で、行政からみたら反政府的な思想を持っている
教員を危険とみなすのはあたり前。
特にマオイストが反政府運動をしていた時に、
マオイストからというよりネパール軍から
反逆者ではないかと拷問を受けた教員の方が多かったようだ。

教員はまさに反政府組織と
行政の狭間で生活をしていかなければならないのだ。

私立学校への課税に対する訴訟

 2008-11-03
教育予算と同時に発表された5%の教育サービス課税に対して政府を相手に
ネパール私立学校協会、ネパール法会と保護者協会が最高裁に提訴をした。
原告は中等教育まですべての国民に無償の教育と発表した国として
課税は不当で無効化を求めている。
最高裁は教育省に書面による返答を求めているようだが、
依然教育大臣は無効化はないと強く主張しているようだ。

サービス課税は私立学校が支払うことになった後、
すぐに毎月の授業料が5%上がったようだ。
よって、課税が苦しめたのは保護者であって
学校がそれを負担しているわけではないし、
むしろそれを悪用して利益をあげている学校さえいると聞く。

確かに、政府は暫定憲法や教育予算に「中等教育までの無償化」を発表している。
しかし、国が保障する教育は「公教育」に限るのではないだろうか。
発表内容に提供手段が明記されていないことは確かに問題だが、
中等教育までの無償教育を受ける権利があると言って
私立学校に課税するのは不当と主張するには
弱すぎるのではないかという気がする。
しかし、ストライクを起こさず訴訟から解決に臨んだことは
大変評価したい。
この訴訟がどのように発展するか気になるところだが、
個人的には公教育の質にも議論が及ぶことを願っている。

私立学校の国有化は可能か!?

 2008-11-09
一か月で二回目の風邪をひいて寝込んでしまっている。昨日一日寝て、今日少し回復した。
季節の変わり目、よく風邪をひく。皆さんもどうぞ気をつけて下さい。

さて、先日マオイストの野望を見せつける発言を財務大臣がした。私立学校を将来的に国有化するというのである。(保健と)基礎教育は基本的な人権であり、国にはそれを供給する義務があるというのである。そのため、私立学校を運営するものは他分野に活動するようお願いしたようである。

しかし、国が保障すべき基礎教育は質の良い教育でなければならない。
読み、書き、計算を教育の質と考えたテストで見る限り、
ネパールの現在の公教育は決して質の良いものであると言えないし、
設備的にも不十分なことが多い。
このような状況の中で都市部を中心に中産階級や富裕層は
私立学校を利用することがほとんどである。
テストの点数を見る限り圧倒的に私立学校が質の良い教育を
提供しているのである。

歴史的に見ても70年代に私立を禁止して公立一本でやっていこうとしたが、
富裕層や公立教育を実施する公務員自身さえそれを却下し、
自分の子弟をインドへ留学させたのである。
当時より私立教育のニーズが拡大しつつある
今では私立への制限はさらに困難になることだろう。

また、教育予算に当てるための資金は世界銀行からの貸付である。
世界銀行は貸付の条件として私立の促進を提示しており、教育予算は
世界銀行の貸付から補われている限り私立の国有化はありえない。

国としてやるべきことは質の良い私立学校の足を引っ張ることではなく、公立学校の質を向上して私立と競争できる環境を作ることである。競争と言っても生徒を選べる私立学校と皆平等に教育をすべき公教育の競争は公立にとっては不利であるが、高い授業料を払って私立学校に通うより質が高ければ公立でも良いという人が多くいることから、有利に私立に通っている人々を魅了することも可能である。

在日ネパール人児童の教育

 2008-12-10
政治家の欲があまりにも見え見えで醜くなっているネパール政治からちょっと離れて、
今日は在日ネパール人児童の教育の話を書くことにしよう。
以下、10月からやっている仕事を通して思っていることをまとめていて、
多くは私の推論である。


先日友人のジギャン氏が明らかにしてくれたが、在日ネパール人の正式な人数はおよそ9384人とされているが、不法滞在者も含み2万人近くいるといわれている。

日本に教育を受けている外国人児童の数自体は2万人弱(在日外国人登録者は約200万人)だが、中国語、ポルトガル語、スペイン語を母語とする児童が一番多い(参考:文部省)。少数派のネパール人児童は多くても50人~60人程度ではないかと私は予測している。このうち5~6人のケースをみて以下のことを言えるのではないかと思った。

ホワイトカラー
ネパールの政情不安定も手伝って、多くのネパール人留学生が日本に残り就職をするケースが増えてきている。また、海外で学歴を修得して日本に仕事をしにくるケースも少なくない。このような親をもって生まれた子どもは、最低限の日本語しか必要としない、月7・8万の授業料と多額の寄付金がかかるインターナショナル・スクールに行かせてもらうことだってできるだろう。また、日本語が必要とする日本の公教育にさえ簡単に順応させることができるだろう。日本にホワイトカラーの仕事をしているということは親もある程度日本語ができ、子どもの日本語学習をフォローできるということだ。

ブルーカラー
一方で日本ではホワイトカラーの仕事をする外国人よりブルカラーの仕事をする外国人(特にネパール人)が多いと思う。90年代から多くのネパール人がインド料理店のコックや工場の労働者として入国してきている。このような親を持つ子どもはどうか!?まず、高価なインターナショナル・スクールに通わせることは絶対ないだろう。公教育で日本語学習をしながら通うにも、日本語の読み書きを十分に把握していないブルカラーの親が多く、子どもにとって不利である。このような状況のなか、子どもがなかなか日本に馴染んでくれないと親は決まってネパールの全寮制の学校に入学させるという傾向にある。

一概に言えないことだが、個人的にネパールの全寮制の学校についてよくは思わない。詰め込み型の教育が中心で、平気で体罰を下す。それに家族がバラバラで、親と離れて育つ子どもは本当にかわいそうだと思う。なんとか親がいる日本で努力して日本語を習得して欲しいのだが、努力で家庭環境が超えられるかどうか疑問である。というより、家庭環境で努力する度合いが決まってしまっていると言った方がいいかもしれない。
(義務教育後の進学問題を踏まえて議論を拡大させることもできると思うが、今日はここまで)

「私学の国有化」を求める声

 2009-03-03
5%課税についてはっきりした決着がつかないままのネパールの私立学校だが、(反対する一部がいる中でも)有無を言わさずに納入させられているのが現状のようだ。

それより、気になった記事が。
私学の教員組合から政府に国有化を求める動きがあるようだ。そのため3月6日に全国の私学を閉鎖(スト)する予定だという。職業的保障を求める一巻の活動であるが、現在ネパールで問題である、私学の過剰というほどの商業化、公私間の教育格差是正のためには国有化が必要Himalayan Times)というマオイストの主張を大きく掲げている。(上からの国有化かダメなら下からという陰謀か!?)

このような労働運動の背景には、教員の厳しい労働条件がある。多くの私立学校は公立の初任給より低く教員を雇っており、年金や保険などの福利厚生が充実していることも稀である。また、任用や解雇も雇用者の判断に任せられている。
しかし、だからこそ私学において「質」が保障されていることは忘れてはならない。教員が公務員である公立学校ではよっぽどのことがないかぎり、クビになることはない。一方、私学では子どもの学力向上に貢献しない教師はすぐクビとなる。一方で、その効果が認められる教員は複数の学校間で引っ張りだこにされたり、一つの学校でも公立教員の何倍の給与を得れるのも事実。いわゆる、市場の原理が働くわけだ。
確かに、ネパールのような国では私学において「最低賃金」も守られず教員が酷使されることが問題だが、このような賃金保障の問題から国有化にズレる背景にはやはり政治的な意図を感じる。それが、マオイスト自身なのか、それとも連立政権を率いるマオイストの注意を引くために私学教員組合がわざと設定しているのかである。

過去の記事「私立学校の国有化は可能か!?」でも書いているが、私学の国有化は簡単なものではない。それに、マオイストが主張する「私学の過剰な商業化・公私間の教育格差是正のための国有化」は「出た釘を打つ」というネパール社会の悪い点にしか思えない。私学がいいから「その足を引っ張って」公立のレベルに合わせても全体の向上にはならない。

私立学校への課税に決着か!?

 2009-03-30
私立学校への5%課税について新たな動きがあった。前回の記事でも書いたように、有無を言わさずに払ってもらう姿勢を政府が取っていたが、反対をしている団体もいくつかいた。それらの団体と合意が得られたのだ。14項目の合意点があるらしいが、相変わらずの報道方法で、その具体的な内容は不明である。新聞に書いてある内容だけを複数(Nepalnews,Ekantipur, Himalayan Times)の記事からまとめると以下がいくつかの合意点である。

1.教育サービス税という名前を「教育開発支援基金」に変更
2.強制的なものとしないが、「教育開発支援基金」の名目で回収し低開発地域の教育開発に利用する
3.政党・私立学校団体の委員会を設立し、授業料体系に基づいて基金を回収する
4.全政党と各私立学校団体で委員会を立ち上げ教育の質向上や私学のオーナーシップを保障する
5.教育機構を「平和地区」(ストライクなどを実施させない)とするよう議会に呼びかける
6.教材購入の際に割引を適応させる

まだ8つもの項目が不明である。重要な項目だけが報道されたことだろうか・・・また、帰国するときにでも入手できればかと思う。
さて、このような合意で「教育サービス税」は実質「無効」になって、払って損をしたと思っている教育機関も続出している気がする。行政の弱さが露呈した合意であったと思うが、評価すべき合意だったと思う。例えば、授業料体系に基づいて課税するということについては以前も指摘した通り、様々な私立学校があるため、それぞれの授業料体系に基づく必要がある。また、何かあればストライクという現状で学校を「平和地区」と宣言するのは必要不可欠のことである。1年に3分の1がストライク、3分の1が休日では、十分に勉強ができるだろうか。(委員会や割引については疑問に思うこともあるが、またいつか記事にしたい。)
結局、このような合意しなければならないのであれば、最初から私立教育団体と話し合って政策を作れば時間も労力も金も無駄にならなかったと思うのだが、どうやら多くの政策がやり直しになるのが現在のネパールのようだ。

識字計画

 2009-04-16
政府が公約として掲げている「国民皆識字者」の一巻として、国民識字計画の第一段階が終了した。いつものことだが、政治的介入で計画通りに進まず目標まで達成できていないことを監視団が報告している。具体的な報告は各地方局からレポートがあがってきていない。
ネパールの教育学者は、識字教育をするために雇うボランティアにお金を配分するのは効果的な政策だが、実際に非識字者にとっては魅力的な計画ではないことを批判している。
課題が多いかもしれないが、260万人(15~60歳)に短期間(6ヶ月)に字を覚えてもらう計画なんかそんなにない。成果がどれだけのものか注目だが、一歩前進といえる。
個人的にはこのような識字能力を得てもらってどれだけそれを維持してもらえるのか、どのようなフォローアップするのか興味がある。6ヶ月で覚えてもらったとしても、それを使う機会がなければ数ヶ月で忘れてしまうことだろう。

「権利」と「義務」

 2009-06-01
今日はネワール民族によるストライクだが、昨日は非正規教員と私学に働く教員によってカトマンズ内の学校閉鎖。非正規教員の正規化、私学教員も公立学校並みの保障を求めている。

確かに、非正規教員や私学教員の雇用状態は劣悪だ。非正規教員で現在このような運動を展開しているのは、正規になる機会を得られずに何年も非正規教員を続けている人が多い。しかし、中では正規教員になる試験を合格できない教員がいるのも事実。そして、このような教員ほど政治的に活発であることは言うまでもない。教育行政が政治介入で非正規教員を定期的に正規にできていないのがこの問題の根本的な原因だ。

一方、私立学校は「利益追求」が最優先となれば、公立学校並みの雇用保障しない・できないのは当たり前。特にネパールの多くの私立学校は小規模で、授業料も手頃で中産階級から高い人気を得ていて、雇用保障ができないのが普通。近年の税金上げや教員のこのような要求運動で運営が厳しい状況に追われていると聞く。公立学校の質が良ければ、私立学校の縮小は肯定化できるかも知れないが、現在の公教育の状況ではこのような小規模私立学校の淘汰されていく状況は子どもの学習権をはく奪することにつながることが懸念される。

教員によるストライク等も同じようなこと。子どもの学習を保障すべき教員自身が子どもの学習機会・環境を悪化させている。教員の雇用改善は彼らの「権利」であれば、その権利に付随する学習権を保障する「義務」をしっかり果たしてもらいたいところである。暗記中心の公立・私立両方における子どもの学習状況が良いとは言えず、教員に子どもの「学習」の概念が希薄である。

残念なのが、ネパールでは、教員に限らず多くの職業で、この「権利」に付随する「義務」が軽視されている。

自動進級制度導入に関する疑問

 2009-10-28
ネパールの前期中等教育まであたる第7学年まで、本年度から日本のように自動進級制度が導入されたというニュースが紙面を踊った。今後は、期末試験ではなくて、定期的な評価方法(形成評価)に転換し、自動進級制度が導入されるという。試験による児童の精神的悪影響を避けることと、前期中等教育への入学率の低さ(全体の3割)を考慮した政策だという。読者コメント欄をみるとかなり好評な政策のように見えるが、個人的には公立学校での形成評価・自動進級の実践に大きな疑問を感じる。

記事全文はコチラ

政策導入の背景
まず国際的な潮流から、2015人までに初等教育を万人に受けさせるという計画が進められており、その次の中等教育(また前の就学前教育)へ、視点がシフトしていることが背景にある。現在、ネパールの初等教育は、就学率が9割近くに上昇しており、その次の中等教育の3割という「数値」の低さを援助国から注目され、このような政策が導入されたのではないかと個人的に思っている。第5学年までの進級も実は、今まで実質自動進級になっていた。「万人に初等教育」(正確には「万人のための教育」)という目標を達成するために、「上」から「2・3科目に落第していても進級させて良い」という指示が出ていた。なので、よっぽどの学生しか同じ学年を繰り返すことがないのだ。今回の宣言はただ単に形式化したものを言語化しただけのことである。

「学力」はどこ!?
万人のための初等教育目標の真の狙いは、万人に良質の初等教育を提供しようというのだが、実際にはアクセスの拡大に終始しているのが現実である。
自動進級でも、初等教育段階で身につけるべき「学力」をきちんとつけていなければ、次の学年に進んでも意味がない。まして、場合によっては、重複して同じ学年で学習した方が苦手を克服し、子どものためになる。
ネパールの公立学校の教育は残念ながらかなりひどい。2000年に入ってからのいくつかの調査では初等教育の主要科目をきちんと学習し、理解している子どもは5割にも満たない。実際、縁あっていくつかの教育関係のNGO等に関わったことがあるが、初等教育の成績がかなり悪い。また、第7学年でもちゃんとネパール語で手紙を書けない子どもとたくさん出会う。
このようにそもそも質が低くて、ちゃんと子どもに学力を保証していない公立学校で試験を実施しないことは逆に質の低下に繋げる危険性をもつ。形成評価による評価は大いに、教員個人の判断によるものが大きく、従来定期的に行ってきた試験で客観的(従来の評価自体が客観的だったかどうかという疑問もあるが、それは別の話)に進捗状況を確認することができない。
要するに、ネパールのような国で、公立学校で形成評価を導入した場合臭い物に蓋をすることになる。

教師への負担
形成評価をするということは、定期的に教員が小テストか何かをつくって、それをチェックし記録していくということで必然的に教師の事務的な作業が増大する。本来、子どもの学力を考慮するために様々な工夫や勉強をするべき時間が減少することになり、子どもの学力に悪影響を及ぼすことすら考えられる。

広がる格差
ネパールにおいては、初等教育段階から公立と私立の格差が大きい。そもそも私立に行く子どもは有利なのは(財力・環境の面から)言うまでもない。そのような状況で、この政策がさらなる格差を助長する政策になりかねない。私立学校においては、この政策がちゃんと実施されるかどうかというのがまず疑問であるが、この政策の下で私立学校がきっちりと形成評価をし子どもの学力を保証していくのに対して、公立学校はそれを誤魔化し今の学力よりも悪化しかねないのである。

確かに、子どもの学力のすべてを毎年数時間の試験で計るのは不可能であり、子どもにとっては酷な話でもある。しかし、ネパールみたいな、子どもに学力をちゃんと享受できていない国で、子どもに学力が備わったかどうかということを確認するための手段として試験は重要な役割をもつ。また、公立学校の教員のモラルやモティベーションがかなり低く、果たして彼らがきちんと子どもの学力を保証するような評価方法を採用していくのかが疑問である。

ネパールの言語と教育

 2011-01-02
日本で外国人として日本語を使っているとよく驚かれる。さらに、ネパール人として複数の言語が話せるということを話すと仰天される。しかし、それはネパール特異の社会文化的背景が影響しており、それが決して良いこと尽くしではない。

ネパールはご存じの通り、多民族国家であり多言語国家である。2001年の統計によると、ネパールには101のカースト・民族が存在しており(約40万人のカースト・民族は不明)、92の言語(約17万人の言語は不明)が存在する。
公用語であるネパール語を母語とするのは48.6%、と約半数。
僕の母語ネワール語は3.6%の人口しかない。といっても、ネパールには、70もの言語がそれぞれ0.1%以下の人口にしか使われていない。どうやらこのデータには方言も含まれているようですが、少なくともネパールが多言語国家であることはわかるはず。

公用語がネパール語であるため、官庁をはじめ、一般的に異民族と交流を図るためにネパール語が用いられる。ネパール語を母語としない民族は、学校教育を通して習得する。
民主化以前は同化政策も実施され、一時期、公式の場でネパール語を使用しないと罰せられることもあったが、90年の民主化以降は、それぞれ少数民族の文化保護(権利)運動が盛んであり、今では初等・中等教育において数多くの少数民族の言語で教育を受けることが可能である。

しかし、実際そのような少数民族の言語で教育を行う学校の人気はさほど高くない。結局、少数民族の言語だけを使っていても多民族国家ネパールでは生きていくことが困難である。そこで、ネパール語を主とする学校の方に行く。さらに言えば、ネパール語よりも英語を話せた方が、将来の可能性が拡大するので英語教育を行う私立学校の方が人気である。
私立学校が競争を展開する都心部では、挙って英語教育を一つの売りとしている。そのため、良い(高価)とされる学校ほど英語教育に重点をおいている。私立学校のレベルによるが、ネパール語以外の全科目を英語で実施している学校が一般的である。またその指導方法も、英語以外の他言語を学内で禁止するものから、指導時のみ英語を用いる、また、指導の際ネパール語と英語両方を用いるなど多種多様である。
その結果、英語を自由自在に使えても、逆に民族語やネパール語を上手に使えない子どもが多発している。

一方、公立学校の方も数年前から英語を導入しているが、一科目としての位置づけであり、ネパール語で全科目を教育している。これがまた公立学校卒は、英語があまりできないという常識になっており、英語教育を重視してほしい中流階級以上が子どもを公立学校に行かせない一つの理由にもなっている。

このような現況だが、子どもの母語が確立するのは9歳から12歳までであり、12歳までに一つの言語をしっかり勉強させてから他の言語を教えていった方が良いと読んだことがある。(専門外なので詳しい方がいらっしゃれば是非ご教示頂きたい。)これが正しいようであれば、一つの言語は重点的に教えてから徐々に他の言語を教えていくのが良いかもしれない。このような言語を配慮した多言語教育についてネパールの教育省や政府で論じられるべきだが、教育政策や報道を見る限りは十分に論じられているように思えない。一方、国民としても各民族がそれぞれ権利を主張するだけで、「公」教育のなかでその主張がどれだけ有効であるかを十分に議論されていないのが残念である。

個人的には「子どもの将来を拡大する手段としての」英語教育を重点しすぎて、学習の定着や社会文化的背景を軽視しすぎている気がする。
これはネパールだけに関わらず、日本でも同じかもしれない。


ちなみに、私ごとですが、娘を授かってから今まさにこの問題に直面している。日本では、娘への声掛けが民族語ネワール語と日本語になっている。しかし、帰国してからは恐らく家庭ではネワール語で話し、学校でネパール語と英語になる。生活言語と学習言語が異なるとかなり苦労することは身をもって経験しているので、一つの言語に特化させて教育をさせたいと思っている。とはいえ、民族語のネワール語は捨てがたい。なんとも悩ましい問題だが、子どものためにも多言語を確立するために「教育学」を勉強しないといけない気がするこの頃だ。

現在のような無償教育は必要ない

 2011-02-24
政治が一向に前進しないネパールだが、教育分野では画期的な判決が下された。
全国学生組織の元会長が国家を相手に「高校までの無償教育の提供」を求めた
裁判で勝利をおさめた。(参考:The Himalayan Times)
(但し、私立教育はこの判決に従う必要がない)
日本でも、ようやく最近になって高校の無償化が実施され始めているので
開発途上国のネパールでこのような判決が下るのは画期的というべきだろう。
しかし、ネパールの多くのことがそうであるように、
「絵に描いた餅」であり、その実現性が低く、
しかも根本的な「教育の質」の問題について十分議論が進められていない。

現在ネパール政府は学校教育改革を進めており、
すでに不可触民や低開発地域のカルナリ郡では無償で公立の高校まで通うことができる。
また、初等教育まで無償だった公教育を段階的に前期中等教育(第8学年)まで拡大している。
(現実では、何かしらの費用を支払う必要があるのだが、政策上では「無償」である。)
そのため、ネパールの本年度の教育予算は全体予算の17.5%と過去最高額となっている。
これをさらに高校教育まで無償化することになれば、
かなりの予算増額が必要とされる。(参考:The Himalayan Times
しかも、前期中等教育までの無償化だけでもかなり手間取っている様子の
行政能力では、高校まで無償化するには相当時間がかかりそうだ。

しかし、現段階のような教育の質では、高校まで無償の教育を提供しても
それが果たして受ける価値があるものなのか大いに疑問が残る。
現在、国際的な潮流もあって、主に初等教育に重点をおいて教育政策が実施されているが、
それでも公立学校で通っている子どもの基礎学力(主要科目の点数)が
50点台と低い(データが2000年前後で少し古いが)。
また、初等教育を出たのに読み書きもできないという事例も数多く報告されている。

公教育がこのような現状だが、
ネパールはますます学歴主義の社会になりつつある。
教育は、成功をつかむための条件であり、
それには自分の親がどのような社会経済的地位なのか
強く影響している状況にある。
社会経済的に優位な立場にいる親は、
自分の資源を用いて、
自分の子弟に質の良い教育を保証している一方で、
公立教育にいる大多数の子どもたちは
「無償」という名の時間の浪費をさせられている。

私立教育を含めネパールの教育の質について十分な議論をせずに、この問題は解決できない。
今回の判決がそのきっかけになることを切に願っている。

{英語だが、もう少し具体的にコチラでまとめているので興味のある方は読んでみてください。)

アイデンティティ政治と教育

 2011-03-02
首相選出から一か月も経とうとしているのになかなか内閣が完成しないネパール。
政権議会をもう一年延長する主要三政党の策略にさえ思えてくる。

さて、最近少し暇ができたので、以前衝動買いをした
こんな本(←クリック)を読んでいる。

主にアフリカの政治・経済について書かれている本だが、
ネパールの現状にも説明がつくので興味深い。
この中でも、第2章の民族・アイデンティティ政治(Ethnic Politics)についての
章は、今後ネパールでも問題となるであろうアイデンティティ政治について
警鐘を鳴らしている気がした。

ご存じと思いますが、ネパールは現在連邦共和制へ移行中であり、
マオイスト案ではこの連邦は「民族」によるものである。
すでに複数の連邦が勝手に連邦成立を宣言している。

本によれば、
基本的に民族の多様性は、その技能・知識・観点の多様性から生産性を高める。
しかし、多様な民族に「協働」させるのはそう簡単なものではない。
民族間の信頼は低い。
このような民族間の低い信頼の中でも、
協働させるには独裁体制か強力なリーダーが必要である。
但し、無能なリーダーを排除する力を有権者が備えていることが条件なのだが、
その無能なリーダーに代わるリーダーが現れないのが問題である。
(昨今の中近東情勢にも通じる話である。)

根本的には、民族間の違いよりも共通性をみつける(それか創る)のが、
一番良い解決方法ではないかと筆者は、
インドネシアのスカルノ政権やタンザニアのニエレレ政権を例に
説明している。
両政権とも、言語を中心に共通の国家アイデンティティを形成することに
成功している。
しかし、残念ながらこのような国家アイデンティティを形成しようとする試みは
少数であり、多くの発展途上国では自民族への優遇措置・縁故主義などで
民族間対立がますます激化する。

ネパールに関していえば、101もの民族による多様性を協働させるのは至難の業である。
90年代以前の国王によるパンチャヤット政権で、同化政策が推進され「協働」が図れたが、
ネパール語を中心とした国家体制に少数民族の不満が蓄積し、
パンチャヤット政権崩壊の火種となった。

90年代以降の私立学校の隆盛によって、
自由な言語習得手段が成立している。
また、近年の人権要求運動で
公立学校でも一部の少数民族言語での教育が
実施されるようになっている。

しかし、根本的なところで「ネパール人」としての
アイデンティティの形成が民主化以降あまり重視されて来なかった。
政治的なプロパガンダによる「反印」というネガティブな
「ネパール人」アイデンティティは一応あるような気がするが、
これは決して健全ではない。
海外に出てみるとやはり自分はネパール人という意識は、
もちろんある。
このような確認困難な、
また「他人・他国」を蔑んで成立する国家アイデンティティは
肯定的なものになりえない。

その点、言語は自己のアイデンティティをもっとも形成しやすいものである。
ネパール語による国家アイデンティティの形成は、
建設的かもしれない。
ただ、そのために90年代以前のような同化政策ではなく
様々な少数民族の言語をネパール語に取り入れられていくような
言語政策が必要なのかもしれない。
外来の少数民族の言葉をネパール語に取り入れて
いかにそれに皆がなじみやすくできるのかが重要ではないかと思う。

それと、少数民族の癖・方言も許容できる包摂がなければ共通語として成立しない。
次第に低下しつつあるが、少数民族の癖ネパール語に対する差別はひどい。
(さらに、ネパールの場合複雑な事に英語優先の教育も問題だが、
 これについては前回の記事を参考にされたい)

もちろん、国民全員に対する平等な機会が大原則である。
これが過去にできていなかったので、
アイデンティティ政治が広がりつつあると言っても過言ではない。




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