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祭りの話

 2008-07-27
近年王政廃止・民主化プロセスで注目を得ているネパールなのだが、
以前は観光国家として有名だった。
観光といえば、ネパールのヒマラヤ山脈や世界遺産の宮殿やお寺が頭に浮かぶかも知れませんが、
実はそれ以外にもネパールは祭りの国としても知られている。
ネパールにはこれだけのお祭りがあります。

昨日も祭りの一つボト・ジャトラであった。
ボト・ジャトラを説明する前にマッチェンドラナート山車巡行を説明しなければいけない。
マッチェンドラナート山車巡行はパタン市に住むネワール族のお祭りで、
雨乞い祭りの一つでもある。
約2か月(5月中旬~7月中旬頃)も続くお祭りはパタン市最大のお祭りとも言えよう。
そしてそのクライマックスが昨日行われた「ボト・ジャトラ」なのである。
(なお、祭りの写真に関しては外部のサイトになってしまいますが、
こちらがお勧めです。)

マッチェンドラナート山車巡行:名前でもわかるとおり、山車を引くお祭りである。ビルの5階建てぐらいに建てられた山車を紐で引っ張りながら町を一周するのだ。砂糖黍、木材や竹で作られる山車はもちろん脆弱で何回も倒れたりするが、何回も修復されながら祭りが続けられる。迫力があって大変見ごたえのあるお祭りなのだ。

神話:約1600年も続くお祭りには以下のような言い伝えがある。
昔々カトマンドゥ盆地はひどい干ばつと飢饉に見舞われた。
その理由は何かと探っていたところゴラークナートという仙人(ヒンズ教のシーバァ神の化身とも言われる)が、雨を降らすとされる大蛇(ナーガ)を捕まえていたのである。
この状況に困った当時の王はゴラークナートの息子である
マッチェンドラナートをアッサム地区(現在のインド)間で行き連れてきたという。
そして、息子に会いに行っている間に大蛇は救出され、
雨が降ったという話である。
その時から、カトマンズ盆地の国民のため出向いてくれたマッチェンドラナートを祭ることになったとのこと。
(物語はもっと長くて面白いのだが、簡単にまとめてみました。)

ボト・ジャトラ:上記の通り、この祭りのラストを飾るものである。山車巡行の最終地点であるジャワラケールという地域に着いた山車の中にいるマッチェンドラナートの象が来ている(ボト‐ベスト)を見せるジャトラ(お祭り)なのだ。これをみた人には幸運が訪れるという。

神話:このボト・ジャトラが行われることにも神話がある。
大蛇の王妃(ナギン)が目を痛めたことを心配して王(ナーガ・ラジュ)がある日
それを直せる人を探しに出かける。たまたま見つかったバイディヤ(漢方医)はその痛みをみごとに治療してみせる。これに大喜びした大蛇の王は様々な宝石で飾れているボト(ベスト)をプレゼントする。
バイディヤは普段でもそのベストを着て農作業に出かけるようになるが、
ある日それが盗まれてしまう。
たまたま、マッチェンドラナート山車巡行でバイディアとボト盗人が出会い大喧嘩に発展してしまう。誰がベストを貰うべきか王が判断することになるが、両側の主張も満足いくものではなく王はマッチェンドラナートにベストを供えることを決める。そして、マッチェンドラナート山車巡行が終わる日にボト(ベスト)を見せる風習が定着したという。
(この物語もだいぶ省略しています。)

政治的な話をちょっと含めると、国王が毎年このお祭りに参加することになっていたが、
昨年の国王権利はく奪に伴い、国王に代わって去年はギリジャ首相今年はヤダブ大統領が参加している。

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死者を思う

 2008-08-20
先週はお盆休みで日本ではお墓参りの盛んな時期であったと思うが、
ちょうど同じ時期にネパールでもお盆らしきお祭りがある。
同じ仏教由来だからだろうか・・・

ガイ(牛)・ジャトラ(お祭り)というこのお祭りは今年は17日(日)にあった。
過去一年で亡くなった人がいる家族の一員が牛をつれ、
変な格好をして町を巡回する。
最近では真っ平と政治風刺の場となっていて様々なプログラムやパレードが開かれて
大変賑やかな一日なのだ。
写真:グーグル

しかし、意外と知られていないのがその次の日にパタン市で行われるMatya(明かりのお祭り)なのだ。
パタン市内とその付近にある約1300もの寺院を一日でまわるパレードのようなお祭りだ。
死者を追悼するビラ、お賽銭、お米、チョコそして何よりメインなのが明かりを灯しながらひたすら歩くのだ。

8月にネパール行かれる方はお見逃しなく!

DSCF0004.jpg
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お供えもの
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全身を使って拝む
DSCF0020.jpg
参拝者

被抑圧者の論理

 2008-09-23
まず、以下のような記事を書くことはずっと前から考えていたが、
いい材料が少なかったこと、また誤解されやすいという欠点もあって
戸惑っていた。
今回はネワール民族の暴動(コチラを参照)もあって
これはいい機会だと思い書き下ろすことにした。
私の拙い日本語でどこまで説明できるか疑問も多少残るが、
日本語も含みこの議題に関してはコメント欄でさらに議論できることを
期待している。

話は約250年前に遡る。ネパールは様々な民族からなる小さな国々で成り立っていた。
ゴルカ郡の王であったPrithvi Narayan Shahは席捲しながらネパールを統一した。
なんと一時ネパールは今より約1.5倍ほどの面積まで拡大したことがある。
彼はインドの脅威を感じ、ネパールのことを統一したとされる。
ただ、教科書で学ぶことは支配者層の都合の良いことだけで、
彼らの武勇伝でしかない。実際のとこどうだったのかわからない。
彼が戦争でいかにひどいことをしてきたのか、
(一番有名なのが、なかなか勝てなかったキルティプル市の大勢のネワールの鼻をへし折った事)
また彼以来の王制がいかに国民を搾取してきたのか
教科書に載るはずもない。

この250年にされた抑圧・搾取のつけが今となって回って来ていることが、
先日のインドラ・ジャトラお祭りへの手当てがないことへの怒りだと気づいた。
そもそもネワールのお祭りのほとんどがグティーという共同体によって
担われている。グティーは膨大な豊作可能な土地を所有し、
その収益で毎年お祭りを実施しているのだが、
どうやら250年で多くの土地が王族や政府に様々な名目で没収されたようだ。
それで、政府予算に毎年15,000ルピーを提供しているようだが、
今回の「予算なし」という政策で、
「搾取するまでしといて予算ないとはないやろ!」と
怒っている様子。(参考:MySansar.com
どうやらお金というよりプライドとして予算配分を重視している人もいるようだ。

また、このような搾取は単にネワール民族だけが感じていることではなく
様々な少数民族が主張してきていることだ。タライでは
「政府は今まで我々を搾取してきた。今度の政府だって同じだ」
とタライ独立のために武力闘争をしている武力組織さえいる。

公務員の雇用状況からみても、多くはネパール語を母語とする民族で
ネパール語を母語としない民族はかなり少ない。このことから抑圧・搾取
状況が今も続いていると感じる人が未だ多い。
このことで政府と国民(特に約4割以上もいる様々な少数民族)の間、
またネパール語を母語とする・しない民族でも大きな壁がある。
だからこそ、民族による連邦国家の提案や民族衣装を着ない首相という状況が生じるのだ。

私自身の立場としては過去に固執せず、新たなネパールに向け好発進していくためには
様々なの壁を突破していくべきだと思っている。しかし、一連の闘争を見ている限りそう簡単に
この壁が取っ払えるどころか、憎しみが増すばかりの状況にさえ転じていることを感じる。

ダサイン祭

 2008-10-05
すでにダサイン祭について詳しい方もたくさんおられると思うが、
簡単にダサインというお祭りを紹介したいと思う。
祖父が仏教徒であまり積極的にダサインを祝っていなかったので
聞いた話、読んだ話をまとめたものになる。
個人的にはダサインは凧揚げ、トランプ遊びとおいしい肉料理を
記憶している。

西暦で9月後半から10月に当たるこのお祭りはネパール最大のお祭りだ。
多少祝い方の差があるにせよ、すべてのカースト・民族がこのお祭りを祝うとされている。
ドゥルガ神を祭るこのお祭りでは様々なプジャ(参拝儀式)や
動物・鳥などの生贄を捧げる行為がされる。
ただ、必ずしもすべての家族が生贄を捧げるというこではない。
また商売道具をプジャで清める儀式もあったことを記憶にある。

以前も少し書いたが、ダサインは善が悪に勝ったことを祝うお祭りで、
ドゥルガ神によって水牛に変化した阿修羅の退治を祝うお祭りなのである(神話省略)。
この阿修羅退治に十日かかったことから数字のダス(10)からダサインと言うのだ。
また、ヒンズ教では水牛を食べて、牛を食べないのもこういった水牛は阿修羅の変化で
牛は神の使いとされるヒンズ教の神話に基づいている。

ダサインの初日はガタスタパナ(鉢おさめ)から始まる。
この日に、祈り部屋に少量の砂を用意し、
聖水が入ったカラシュ(儀礼などに用いる特別な容器)をその上に設置する。
それを牛糞で覆う。この牛糞と砂に大麦の種が植えられる。
また、この種まきは占いによって適切な時間に実行されることになっている。
この儀式は家父長または司祭によって実行されるもので、
女性は祈り部屋に入ることが許されていない。
毎日の大麦の種への聖水まきもすべて家父長によってされる。
十日ぐらいでこの種が5・6センチぐらいの黄色い苗に成長する。
これがジャマラというものでティカの時に年配者からもらえるものの正体だ。

ガタスタパナの七日目がフルパティなのだ。
国王がいた時までは、この日にゴルカにある国王の実家から
ジャマラをカトマンズに持ってくる儀式が盛大にあるのだが、
おそらく今年は元国王ギャネンドラ氏と支持者だけの地味な祭りになるだろう。

八日目ははヒンズ教では重要な日で、断食をしたり、生贄を捧げたりして、
その場は豪華なご馳走を食べることになる。

九日目にも生贄、特に商売道具への生贄が続く。
もちろんそのご馳走も続く。
確か、日本でも新年は車のお祓いがあると思うのだが、
ネパールではこのお祓いがダサインの時に生贄を持ってされるのだ。

十日目がメインのダサミで年配者からティカをしてもらいジャマラをもらうのだ。
jamara.jpg
このティカの儀式はダサミから四日続き、満月の日にお祭りが終了する。
国王がいたときは、国王もティカをつける儀式を開催していた。
しかし、世俗国家となって大統領制になった今ではそういう儀式は廃止にされた。
一応、非公式に大統領がティカをする場は持つそうだ。

ところで、内務省に申請すれば障害者や年配者には1000ルピーから2000ルピーの
ダサイン手当が支給されるとのこと。今まで約30万ルピーが支給されているとのことだが、
どうやらその整理・管理がうまくできていないため
二重の受給者がいたりしてかなり混乱しているらしい。
やれやれ・・・そのうち着服していたという話も出るんじゃないかなぁ・・・

生き神

 2008-10-08
「生き神」という言葉で皆さんどういうことを想像しますか?
昨日のニュースでネパールの「生き神」のことが取り上げられました。

Kumari.jpg

驚きでしょうか?3歳の女児が生き神「クマリ」になったわけです。
ネパールについて精通している方にとってはよく知れた事実です。
観光省も大大的に生き神「クマリ」の宣伝をしています。
この生き神「クマリ」についてはオンライン百科事典
非常に詳細に書かれていたのでそちらを参照して頂きたい。

最近は人権侵害ではないかということで批判され、
国内外から注目されています。
このクマリ文化を持つ「シャキャ族」の私としては非常に複雑な気持ちです。
文化としての独自性・威厳がある一方で
一子どもにとっては非常に負担が大きいことですし
クマリになった女児は子ども期を失うことになります。
近年の人権運動のおかげで
少しずつこういった伝統文化も変わりつつあります。
例えば、クマリの学校教育を教師が家庭に訪問して行うなどのことです。
ただ、クマリという生き神として長年扱われて
それを卒業して普通の人間に戻るというのは大変なことだと思います。
クマリが普通の人間に戻ってどう適応していったのかについて面白い本
あるので興味のある方はご購入下さい。

ネパール歴

 2008-10-25
24日(金)の議会が今までネワール民族に広く利用されていたNepal Sambat(ネパール歴)を国の暦として用いることを採択した。今後これをどのように予算をまわす年度に用いるかを検討する委員会が設置されるという。今まで用いられているBikram Sambat(ビクラム歴)をどのように扱うのかは明確ではない。

さて、このネパール歴とはどういうものかいくつかの情報源を下にまとめることにしたい。最後に個人的な考察を書いている。

起源:
ネパール歴の起源はある物語に基づいている。その昔、カトマンドゥのビシュヌマティ川から夜中にお経を唱えながら砂を運ぶとその砂が金に代わることを発見した占い師がいた。その占い師がこのことを王に伝え、王は何名かの日雇い労働人を理由を説明せず夜中にお経を唱えて砂を王宮に運ぶことを命令した。運んでいる途中不思議に思った近所のネワール住民Sankhadar Sakhwaが、労働人に王の命令だということを聞き出した。夜中に砂を運ぶ命令を不思議に思った、Sakhwaは自分の家にも一袋運んで欲しいと労働人に依頼しお金を手渡した。
運ばれた砂が次の朝金に変わっていたのをみてSankhwaは驚いた。このような金は善意に使わなければいけないと思い、国の債務者の債務を払うことを決めた。また、このような善意ある行動の記念にネパール歴が作られることを当時の王に依頼した。西暦でいう881年のことである。王は当時利用されていた暦が終わるTihar祭のMhaPujaからネパール暦を実施することを宣言したそうだ。

どのような暦か?

ネパール歴は月の動きに基づく太陽暦の一種となる。
ネパールで発展したひとつだけの暦とされている。
どのような儀式・お祭りもこの暦に基づいている。

デーヴァナーガリー    ローマ字       対するグレゴリオ月日
कछला           Kachha lā      11月
थिंला            Thin lā        12月
पोहेला           Pohe lā        1月
सिल्ला           Sil lā          2月
चिल्ला           Chil lā         3月
चौला            Chau lā         4月
बछला           Bachha lā       5月
तछला           Tachha lā       6月
दिल्ला           Dil lā          7月
गुंला            Goon lā        8月
ञंला            Yen lā         9月
कौला            Kau lā        10月
参考:ネパール×ネパール

なぜビクラム歴が使われるようになったのか?
ビクラム歴はインドの複数の地域で利用されえいるインド生まれの暦なのだが、ネパールに到来したのにはラナ政権の影響があった。ネパール歴では3年に一回13か月の月があるため余分に公務員に給与を払わなければいけないため、12か月だけあるビクラム歴に移行したといわれている。なお、ネパールを統一したサハ家が使っていたのはヒンドゥ教に基づくサカァ歴としている。

考察:
ネパールは多様な民族で構成されている。今後新たなネパールのアイデンティティを構築していくために確かに様々な象徴的なものが必要だが、今回の暦を採用することは決して民主的な決断とはいえない。ネパール歴だけが独自ではなくて、他の民族もネパール国内に発展しなかったにせよ独自の暦(例えばキラト暦。ミティラ暦)をもっている。今後これらの暦をどのように扱うのか議論になることだろう。
確かに、歴史的にみたらネパール歴はネワール民族だけのものではないことがわかる。しかし、実質今日それを主にネワール民族が使っている以上、一国の暦にするのは贔屓だと個人的に思う。
それに、ネパール歴を行政が使えるように調整するのにどれぐらいの労力と財力がいることか・・・
現在の議会がすべきことは新憲法の制定であって、新たな暦の制定ではない。

ティハル祭①カラス(烏)の日

 2008-10-26
今日からティハル祭が始まった。
ダサイン祭の次に盛大に祝うお祭りなのである。
灯りのお祭りティハル。
町は停電でもロウソクなどで明るく、
露店や家々がきれいに飾られて、
賑やかで大変面白い。




ティハル祭の初日は烏の日で始まる。
烏は死神のお使いとされていて
ティハルの初日は烏を祭るとしている。
この日おいしいご飯を作って烏に供えることにしている。
これを死者の供養として捉えることもある。

kag_tihar.jpg
画像:NepalMountain News

ティハル②犬の日

 2008-10-27
ティハルの二日目は犬の日。
今日は野良犬でも良い待遇をしてもらえる日だ。
家や町の守衛として捉える犬は
年に一度の今日、大事にされる。
kukurpuja.jpg
kukur20tihar.jpg

ティハル祭③牛の日

 2008-10-28
ティハル祭の三日目は牛の日。
ヒンドゥ教では牛は神聖な動物。
人間が3歳までに母親から母乳を与えてもらえるが、
その後は牛乳を飲んで一生を送っていくからだ。
この日、牛においしいご飯が供えられるのだ。
厳格なヒンドゥ教徒では少量の牛尿を飲んで清める人もいる。
gai puja
画像:KantipurOnline

ティハルの三日目は富の神、ラクシュミ神を祭る日でもある。
日本では正月に家の大掃除をするのだが、
ネパールではこの日に向けて大掃除をする。
そして、今日は家に花輪を飾ったり、
灯りを灯したりする。
また、ラクシュミ神を家に招くとするプジャ(儀式)も行う。
tihar.jpg
画像:himalayanactivities.com

一部の民族ではバイリという遊びもやる。
バイリとは女性がグループに集まって家々を訪れて
ラクシュミ神の加護を祈る歌を歌う遊びなのだ。
その代わりお金やご馳走をもらう。


ティハル祭④自分を祭ろう!

 2008-10-29
「自分を祭る」と驚かれたかも知れないが、
ティハル四日目の今日は自分の身体を祭る日だ。
誰しも、自分の体内に神を宿しているというのが
ネワール族に伝わっていることで本日自分で自分を祭るのだ。
マンダラを描き、様々な果物などを自分に供える。

また、今日はネパール歴で新年ということもあり、
盛大なイベントなども開催されたりする。
政府が公式な暦として発表した今年は特に盛大な様子だ。
(ということで、ネパール歴1129年
明けましておめでとうございます!


ネワール族以外のいくつかの民族では本日雄牛を祭ったりもする。
雄牛は農作業に欠かせない動物だからだ。
ヒンドゥ教では雄牛とかかわる神話もあるからだ。

また、昨日は女性のバイロがあったが、
本日は男性のデウシというバイロ同様な遊びがある。
最近は強引な金銭の要求などをする悪質化な
グループも数少なく、デウシ禁止地区も出てきているほどだ。

ティハル最終日:兄弟の日

 2008-10-30
本日はティハル最終日の兄弟の日。
とは言っても姉が弟を祭る日なので
「姉弟」の日と言った方が正しいかも知れない。
姉がいない人は妹からでも祭ってもらえる。
男兄弟または一人っ子の場合は
親戚で「姉弟」の関係を結ぶ。
この場合、様々な儀礼において
本当の兄弟のような役割を果たすことになる。

儀式としては姉から花輪や果物などを供え
弟の長寿を祈る。
一方で弟は洋服や金品のギフトを贈る。
(詳しい儀礼は民族によって微妙に異なる)

私がこの日を祭っていないのは8年になる。
今日はSKYPEを通して祝おうかなぁ。w


ご興味のある方はYoutubeでBhaiTikaと検索されたら
具体的な儀礼や雰囲気が見られます。
他人の個人的な動画なので
私個人のブログに載せるのはどうかと思いました。

BhaiTikaの写真はPhalano.comへ。

ヨマリ

 2008-12-12
ネパールから数枚の写真が送られてきた。
今日は12月の満月、
ヨマリの日。
ヨマリとは「好きなパン」のこと。(ネワール語では「ヨ」は好き、「マリ」はパン)
このパンの生地は米粉、
中には溶かした黒糖、ゴマやココナッツなどを入れる。
なんでも好きなパンのことではない。

ymri.jpg

バレンタイン

 2009-02-14
今日はバレンタイン。日本ではコンビニ―からデパートまで様々なチョコが並べられていて、最近チョコにはまっている僕はつい見入ってしまう。
先日生協で様々な(チロル)チョコのセットを(240円とところ210円で)バレンタイン限定70袋を販売していたので早速自分用に購入。これがまたおいしい詰め合わせだったので、さらにもう一袋購入。狙いはバレンタイン後のさらなる割引セールだ!!(ってちょっと貧乏くさい話で申し訳ない。w)

日本では女性が男性にチョコを贈るバレンタインだが、ネパールでは都市部で祝う近代的な祭りである。特に、恋人同士がお互いカードやお土産を交換しあったりする。また、この日を機会に好きな人に告白したりもする。最近は花(特にバラ)を贈り合うのが流行りらしく、昨年一時帰国した時に土産点がバラを扱っているのをみてちょっとビックリしたのを覚えている。ハイソな祝い方として、高級ホテルでの食事も流行りらしい。これについてはネパールの空の下のミキ様を参考にして下さい。

DSCF1964.jpg
カード例

最近は恋人をネパールにおいて出稼ぎ、また留学する人が結構な数いるので、これをビジネスチャンスとして捉えて、海外からもギフトカードを贈れるサイトもどんどん増えているように思える。

ちなみに、日本人化が進んでている妻から今朝、チョコをもらった。ホワイト・デーには倍にして返すべきというけど面倒だなぁ。(なんちゃって!)

開会式文化と旧宮殿

 2009-02-27
本の発売記念式だろうや、教育機関の開会式、政治的行事、それともお祭り。ネパールでは主賓に権力者が招かれる。(閣僚の式典参加の写真はNepalnewsのアーカイブからも確認できる)
これが公務妨害になるぐらいだろうか、法律で規制すべきという話題すら出る(実際はできていないが)。主催側にとっては、自分に「これぐらい」の権力者の後ろ盾があるという象徴かもしれないが、このような開会式は閣僚の怠慢に思える。

ただ、権力の象徴である大統領・副大統領の仕事の一巻がこのような開会式かもしれませんが、参加する式典は選んでほしいものである。政治色・宗教色が強い式典にはたして国のトップが参加すべきだろうか疑問に思う。
book_release.jpg
本発売の記念式典に大統領
画像借用:Nepalnews.com

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画像借用:MyRepublica.com
ヒンディ語宣誓問題後すっかりおとなしくなった副大統領

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高級スーツが輝くプラチャンダ首相
画像借用:Nepalnews.com

開会式といえば、最後の写真でもわかるように、旧宮殿のナラヤンヒティ宮殿が博物館として正式に開会された。昨年6月にコイララ元首相によって一度は開会されたものの一般人にはやっと本日から開会されたようだ。ネパール最後の国王が住んでいた宮殿、また王族殺人事件があった宮殿のため、かなりの数の見物者がいたようだ。しかし、宮殿では王冠(今後公開予定のようだが)や国王が使ってたものがあまり残っておらず、また殺人事件があった建物もすでに壊されており、ガッカリする人も結構いるに違いない。
それでも様々な意味で一度見る価値はありそうな博物館なので近くにお立ちよりの際はぜひ寄って下さい。
(なお、博物館の一部の様子はNepalnewsのアーカイブからも確認できる)


休業日
火曜日・水曜日・祝日

入館料
学生:20ルピー
ネパール人:100ルピー
SAARC加入国からの観光客:250ルピー
一般観光客:500ルピー

ホーリー

 2009-03-10
今日はネパールでホーリー祭、英語のHOLY=神聖ではなくてHOLI。神聖だけど色のお祭り。南アジアの多くの地域で祝うお祭りなのだ。「色をつけ合い友情を示す」という祭りで、今日の日は敵とでも仲直りして仲良く色をつけ合うべきと言われている。

色のお祭りだが、水の入った風船(手に入る程度の大きさ)を投げ合いごっこして楽しむ地域も多い。どのようにして、水風船が「色のお祭り」に使われる風習になったのか不思議だが、女性陣にとっては厳しい日々がホーリーの数日前から始まる。水風船を投げるのは今日だけに限ったことではなく、この日が近づく数日前から始まり、女性陣が狙われるのだ。投げる方にしたら、当たった女子が困って、怒るのを楽しんでいるのだが、女子の方が服がビショビショで大変。。。
怒られるので他の日は隠れてゲリラ攻撃なのだが、今日は堂々と水風船を投げるのだ。本日は家の屋上からの投げ合いを楽しむか、外出し色粉をつけ合うのを楽しむ。それとも大人しく家でじっとしておくのかだ。

最近は都市部の水事情もよろしくないので、水風船が減るのかの思いきや、汚水が使われていて余計大変だと妹から報告が。言葉がでない。。。まぁ、気をつけるしかない。

ところで、今日は山岳地帯でホーリーなのだが、明日はタライ地方でホーリー。今年はタル族によるストライクも続いているので、どうなのかわからないが、タライ地方のホーリーは色粉をつけ合い、肌でのコミュニケーションを重要視していて楽しいと聞く。実際には体験してない。

何かと治安が不安定なタライだが、平和なホーリー祭にタライの平和を願う。

ネパールの音楽に癒される

 2009-05-28
小さい頃、ごくあたり前に聞いていた音楽を久しぶりに聞くと癒されるものだ。ご存知のようにネパールは多民族国家、民族によって楽器や音楽も微妙に異なる。だから、様々な民族の音楽を別々に耳にすることが多い。今回、このようなバラバラな音楽を一つにして演奏するバンドを見つけた。バラバラな楽器がここまできれいなハーモニーを奏でるのを聞いて心底感動した。

バンドの名はKutumba(クトゥンバ)。クトゥンバとはネパール語で共同体の特有な結びを意味する。名前の通り、バンドの目的は伝統的な民謡や楽器を結び、新たな音楽を作りだすこと。

今まであった、ネパール共通のアイデンティティを新たに変えていく時期に必要なバンドだと思う。


追記:ところで、クトゥンバの音楽を検索していたらネパールで活躍中の歌手スンダリ・ミカさんの歌にヒット。名前は以前から聞いていたが、ここまで完璧にネワール語の歌を歌えることに驚き、ファンになった。


宗教観の形成

 2009-09-23
我々は生まれた時から様々な名目で呪縛されてこの社会で生きている。まず、生まれた時点で「男」か「女」かということで呪縛され、家柄で呪縛される。ネパールだとどの民族だとか、どのカーストだとか。。。宗教も悪く言えば一つの呪縛であり、よく言えば頼れる価値観・生き方であろう。

来日して、怪しい宗教への勧誘を受けることがあるが、咄嗟に「どのような宗教も尊重するが、私はシャキャ族であり、仏教だ。」と断ることがある。シャキャ族の男子は小さい頃に仏門に入る儀式はあるものの、写真があるものの幼いためまったく記憶が残っていない。
スキャン0023


仏教徒と言え仏教の教えを全部言えるわけでもない。しかも、ネパールでは今はダサイン、ヒンズ教のお祭りだが、我が家でも普通にそれを祝うのである。ネパール仏教に詳しい人はご存知かも知れないが、ネパール仏教はヒンズ教と調和した形で残っているのである。

それでも自分が仏教徒だと思うのは、幼い頃から我が家では仏教徒ということで鶏肉を食べることはなかったからだろうか。それに法事(例えば、祖父母の命日)があると決まってお坊さんが招待され仏教式の儀式が進められた。例えば、御経を読んでもらい、お坊さんにご馳走し、法話を聞く。その法話を通して、仏教の教えとかを物語の形式で聞く。鶏肉を食べない理由もこの法話を通して知った。お釈迦様が足を怪我し、膿みができ虫が集るように成ったときに鶏がその虫をキレイに食べてくれたから、鶏を大事にしなければいけないというのである。このような多くの法話を通して、仏教の教えが口頭で伝えられており、そのいくつかが記憶の中にある。

スキャン0039
(一時帰国の時に参加した法事。後ろに日本のアタックが光ってる。wクリックで綺麗にみれます。)

最近はこんな法話も忘れたのか、ネパールでも仏教徒に関わらず鶏肉を食べる家庭が増えてきた。もちろん、我が家でも食べている。日本にいる僕は「郷に入れば郷に従う」勢いで、何でも食べる。食事制限よりも、もっと本質的な教えを大事にしていきたい。その教えとは何かを勉強する必要はあるのだが。(笑)

Happy Vijaya Dashami 2066

 2009-09-28
merodolakha.jpg
Happy Dashin

ダサインおめでとうございます。(ダサイン祭については過去の記事をご参照下さい。)
今年のダサインは義弟も日本にいたお陰で、ネパールのダサインらしく10年ぶりにトランプをしたりおいしいものを食べたりして過ごしました。さすがに、肉料理が一週間も続くネパールのダサインには、もう慣れないかも知れません。(笑)

ネパール料理はナンなん?

 2009-10-24
学期も始まり、ドタバタする毎日。あまりブログを更新できずにいる。さて、ここ2・3日、ネパール料理店で食べる機会が多くて、毎日カレーとナン(パン)を食べている。ネパール料理は「ナン」なのかという疑問はずっと個人的にもっていたのだが、今日は日本の方に言われてさらに複雑な気持ちだ。「これではインド料理と何も変わらない」と。私の知識でも、ネパールではナンを食べる地域は存在しない。ネパールのインド料理店以外は。

では、なぜ日本のネパール料理店でもインド料理店とあまり変わらないものをおいているのか。正確なことはわからないが、考えられることは二つ。まず、日本では「ネパール料理」として売っても数年前までは、ネパールのことはあまり知られていなくて(今もそうかもしれないが)インドという大国で主張した方が商売は繁盛する。味的にもネパールとインド料理では、カレー味という共通点から「日本人からみたら」一緒という感じがあるのかもしれない。もうひとつの理由は、やはりネパールの多民族性からくる共通性の無さ。ネパールは多民族国家でそれぞれ、地域・民族によって食べるものが違う。(最近はダルバートで共通するというが。)共通なネパール料理というものを展開しにくいことだろうか。日本人向けにその共通したものをアレンジしなければいけないわけだし。
本当は、インド料理よりネパール料理の方がそう濃い味付けでもないし、サラッとしてヘルシーだからもっと流行ると個人的には思う。

いずれにしろ、今はネパールのことは以前より多くの日本人に知られているわけだし、ネパール料理店も急激に増える傾向にある。このような状況で、ネパール料理店でインド料理店と同じものを提供していたらそう長続きしないと思うのは私だけだろうか。そもそも、ネパールの主食といわれるダルバート(ご飯と豆スープ)をおいてないネパール料理店は果たしてネパール料理店だろうか。

それぞれ、増えつつあるネパール料理店は、それなりの個性をだす努力はしていると思うし、すべてがインド料理店と同じものを提供しているわけでもない。しかし、多くのネパール料理店がもっとネパールというアイデンティティを強調する必要があるのも事実だ。

ネパール料理店を経営されている方々、お世話になっている方々も知りあいで多くいらっしゃるが、あえて苦言を呈して頂いた。異論・反論があればぜひコメント欄でどうぞ!

ネパールの「新年」事情

 2010-01-03
新年ということでネパールにおける新年事情を簡単にまとめてみた。多民族国家ネパールにおいて、新年は一回だけ祝うのではなくそれぞれ民族によって暦が違うので「新年」も年に数回ある。西暦の新年、ネパール共通のネパール歴の新年とそれぞれ民族の暦に基づく新年である。

まず、今回の西暦の新年は、ネパールでは都心部を中心に近代化の波におされ一行事となってきている。とはいっても、主に大晦日でドンチャン騒ぎをしたり、テレビやラジオのカウントダウン企画が主だろう。元旦では、互いに新年の祝いの言葉を交わし合うぐらいだ。インターネットの発達で、近年ではネット上でのグリーティング合戦も盛んである。新年が始まる数日前から、数日後までグリーティングの送りあいは続く。

日本の正月と似た「新年」は、グルーン、シェルパやタマン民族のローサルもある。今年は、ちょうど西暦の新年と重なるように祝っている。ローサルは、チベット密教に基づく暦で、干支も存在し、今年は日本と同じく「虎」年である。日本のように、一週間ほど新年のお祝いが続く。

廃止にされるのではないか(詳細は過去の記事:ネパール歴←クリック)と危惧していたネパール歴(ビクラム歴)も健在である。西暦で4月の後半が「新年」にあたる。民族によって祝い方が違うかもしれないが、ネワール民族では新年当日に粉粒をお粥にして食べる。欧米の真似か、テレビやラジオではカウンダウン企画も盛んである。

ネワール歴についても詳細は上記のリンクを参照して頂きたいが、西暦で10月後半~11月前半に当たる。ティハル祭と重なることもあり、ネワール族は盛大に祝っている。

このようにして、ネパールでは都心部に住んでいると二つから三つの「新年」を祝う。

明けましておめでとうございます

 2011-01-01
web nenga
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HAPPY NEW YEAR 2011!!
皆様にとって素晴らしい一年になりますよう
祈っております。
今年もどうぞよろしくお願いします。

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