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悪いのは「制度」か「成員」か

 2009-07-04
現在のネパール政情について、今注目を集めている若手新聞記者プラシャンタァ・ザー氏が的確な記事を今週のネパーリ・タイムズに書いている。毎週コラムを書いているのだが、今まで読んだ中で一番わかりやすくて核心をついている。政治家(副首相)の実名を具体例として出していることはかなり勇気のあることだと思う。一般的に汚職政治家として知られている人とはいえ、このような印刷物・ネット上で掲載することを阻止するためにはネパール内ではかなりの抑圧がかかることが予想される。

これを読めば、きっとネパール政治に詳しくない人にも現在のネパール政治の実情がクリアになると思う。本文(コチラ)が英語なので、拙い日本語だが意訳を書くことにした。

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手段問わずの権力闘争
‐ 国を略奪する手段となった政権


過去数カ月を見れば、各政党の官庁の取り合いが顕著にみえる。これでもう一度90年代の汚濁なネパール政界が復活したかのような悪夢だ。ネパール東西南北で現政権の感想を聞いても「今の政治家は泥棒!」という声しか聞こえてこない。

手段を問わずに権力、金、地位を得るのが現政権闘争の目標であることが型にはまった答えであるが、これはある一部分しか説明していない。政治家が閣僚になりたいのはすでに次の選挙を念頭に入れているからである。権力にいることは次回の選挙に当選する確率を上げることになる。 権力にいることは彼らの選挙区にひいきをし、彼らにライバルよりも優位にいる機会を提供してくれるのだ。これを議員や議員希望者 は以下のように説明する。

政治家は選挙区で影響ある人々の様々な面倒-仕事、警察沙汰での手助け、昇進推薦-をみる必要がある。バザールには用心棒、役所には話を聞いてくれる役員の機嫌をとる必要もある。地元記者には、いい記事を書いてもらうためにお茶代ぐらいはも支払わなければならない。
選挙区全体に関しても、だれかの結婚式や他の行事に出て、多少の金額の贈与もしなければならない。もっとも、選挙区の「開発」のために学校や道路も作らなければならん。
これら全ての実現のために各官庁や予算にアクセスある必要がある。そのアクセスこそが閣僚になることである。

もっとも適切な例としてカトマンドゥで汚名高き、現副首相ビジャヤ・ガチャダールを見てみよう。彼はもっとも成功している政治家の一人である。ガチャダール氏の支持者で、ビラートナガールの若手リーダーの証言によると、彼が殺人事件で捕まった時にガチャダール氏が彼を救ってくれた。スンサリの支持者の一人が、病院代を必要とした時にガチャダール氏が払ってくれたという。選挙期間中、彼らのような支持者が、ガチャダール氏のために選挙運動をするのである。ガチャダール氏がどのような思想に基づいているのかは関係ない。彼らが知っているのは、彼らがいかなる助けがいるときにもガチャダール氏がいるということである。

政治家のこのような行動を知るには、根本的な真実を知る必要がある。マハント・タークルはクリーンな政治家の一人である。彼の政党(タライ・マデシ民主党)は赤字運営で、政党維持のためにも政権参加しなければならないのである。

マデシ人権フォラムが分裂した際に、議員の一人になぜガチャダール氏が率いる派閥に参加するのかという質問に対し、議員は「私の選挙区に“開発”をもたらすには、権力にいて予算充てができることか、インド人が病院を建ててくれるしかない。今、我々の派閥(新党)が政権にいることでデリー(インド)が喜んでいる。これはヤダブ派閥と街頭にいるよりはマシだろう!?」

権力にいることが必ずしも、当選につながらないことは前回の選挙でマオイストやマデジ人権フォラムが多くの議席を取得していることで証明されている。しばし、野党にいることがプラスになることもある。しかし、政治家は権力が全てだということを信じてやまない。現制度自身が、政治家が国家を略奪し、その分け前で勢力を強化するという役割を持っているのである。
現制度を精査しない限り、政治家自身を責める意義はない。そして、この制度を精査する議論を進めるのが現制憲議会の理想とされる役割なのである。(しかし、現実にはそのような議論は進んでいない。)
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病めるネパール社会

 2009-07-06
最近、ネパールにおける身代金目的の誘拐・殺人事件の報道がここ数ヶ月増えている。その中でも、先月起こった、元教師による誘拐・殺人事件は特に注目を集めている。元教師の容疑者は教え子(16)を使い、知り合いの(大金を持っている情報を得たため)娘(19)を誘拐、誘拐後数時間で殺害し遺体をバラバラに解体、複数の地域で遺棄している。

時間がたつにつれ、事件の残酷な詳細が浮かびあがり、ネパール国民を憤慨させている。なんと昨日開かれた初公判で聴衆が容疑者の二人を襲う始末(Nepalnews)。新聞等で事件の全貌がかなり詳細に載せられており、模倣犯がでるのではないかと心配にさえなる。

社会制度に生じた亀裂が犯罪を生む。しかし、多くの場合我々はこのような残酷な事件はたまたまの変わりものが起こした例外であることとする。C.K.Lal氏は次のように指摘している「近代の物質(拝金)主義、階級格差、失業、内紛の長期効果が合わさり、小さな事件でさえ耐え難い割合の悲劇の引き金となりえる」(Nepalitimes)。まさにその通りである。現在のネパールは病んでいるのであり、今回の事件はその兆候であることは理解すべきだと思う。

今回のような事件は誰にでも起こりえる事件なのである。実は、犯人は僕の嫁や義弟・義妹の元恩師でもあるのだ。この事件で我家族もかなりのショックを受けている。嫁によると犯人は厳しい指導で知られており、彼が言うことは絶対であった。共犯として巻き込まれた教え子もきっと言うがままになってしまった節がある。(共犯の教え子は被害者を嘘の懸賞金情報で呼び出し、容疑者の自宅までつれていった容疑がある。)もしかすると、自分(嫁)、または義妹(共犯の教え子と同級生)さえ言うがままに共犯になっていた可能性もあるのだと考えると背筋が凍る。

どこの社会でもそうだが、ネパール社会では特に多くのことが「ビスヮース」(信頼)に基づいている。金銭のやり取りから、物の貸し借り、すべてが「信頼」が基本。しかし、今回の事件では容疑者は被害者の家族にとっても、被害者にとっても信頼者のひとりであると共に、教師という立場にいた皆に信頼される存在であった。このように皆に「信頼」される人間が起こした今回のような事件が社会の「信頼」に対する考え方に変化をもたらすのではないかと個人的に思っている。もっとも、それが「教師」という職業的地位の低下から始まるのではないかと思う。

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