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宗教観の形成

 2009-09-23
我々は生まれた時から様々な名目で呪縛されてこの社会で生きている。まず、生まれた時点で「男」か「女」かということで呪縛され、家柄で呪縛される。ネパールだとどの民族だとか、どのカーストだとか。。。宗教も悪く言えば一つの呪縛であり、よく言えば頼れる価値観・生き方であろう。

来日して、怪しい宗教への勧誘を受けることがあるが、咄嗟に「どのような宗教も尊重するが、私はシャキャ族であり、仏教だ。」と断ることがある。シャキャ族の男子は小さい頃に仏門に入る儀式はあるものの、写真があるものの幼いためまったく記憶が残っていない。
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仏教徒と言え仏教の教えを全部言えるわけでもない。しかも、ネパールでは今はダサイン、ヒンズ教のお祭りだが、我が家でも普通にそれを祝うのである。ネパール仏教に詳しい人はご存知かも知れないが、ネパール仏教はヒンズ教と調和した形で残っているのである。

それでも自分が仏教徒だと思うのは、幼い頃から我が家では仏教徒ということで鶏肉を食べることはなかったからだろうか。それに法事(例えば、祖父母の命日)があると決まってお坊さんが招待され仏教式の儀式が進められた。例えば、御経を読んでもらい、お坊さんにご馳走し、法話を聞く。その法話を通して、仏教の教えとかを物語の形式で聞く。鶏肉を食べない理由もこの法話を通して知った。お釈迦様が足を怪我し、膿みができ虫が集るように成ったときに鶏がその虫をキレイに食べてくれたから、鶏を大事にしなければいけないというのである。このような多くの法話を通して、仏教の教えが口頭で伝えられており、そのいくつかが記憶の中にある。

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(一時帰国の時に参加した法事。後ろに日本のアタックが光ってる。wクリックで綺麗にみれます。)

最近はこんな法話も忘れたのか、ネパールでも仏教徒に関わらず鶏肉を食べる家庭が増えてきた。もちろん、我が家でも食べている。日本にいる僕は「郷に入れば郷に従う」勢いで、何でも食べる。食事制限よりも、もっと本質的な教えを大事にしていきたい。その教えとは何かを勉強する必要はあるのだが。(笑)
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