スポンサーサイト

 --------
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
カテゴリ :スポンサー広告 トラックバック(-) コメント(-)

02/28のツイートまとめ

 2011-03-01
dipskyjp

RT @hahaguma: 基本的に人は自己を肯定して生きた方が望ましいが、自己否定的になっている他者に対して「そんなことないよ!いいとこいっぱいあるよ!」と励ますことは、自己否定的になっている他者を否定することなので、まずはその人の状態をそのまま受け入れることが必要。
02-28 11:38

なるほど。RT @hahaguma: ホームレスの人たちを襲撃する子供は、自分自身が家庭に居場所がない、すなわち「ホーム」レスだから近親憎悪的にそうするのだと。
02-28 11:39

勉強は血圧にいい!?RT @the_nen: Education reduces blood pressure http://bbc.in/ezhbyr
02-28 19:20

スポンサーサイト

アイデンティティ政治と教育

 2011-03-02
首相選出から一か月も経とうとしているのになかなか内閣が完成しないネパール。
政権議会をもう一年延長する主要三政党の策略にさえ思えてくる。

さて、最近少し暇ができたので、以前衝動買いをした
こんな本(←クリック)を読んでいる。

主にアフリカの政治・経済について書かれている本だが、
ネパールの現状にも説明がつくので興味深い。
この中でも、第2章の民族・アイデンティティ政治(Ethnic Politics)についての
章は、今後ネパールでも問題となるであろうアイデンティティ政治について
警鐘を鳴らしている気がした。

ご存じと思いますが、ネパールは現在連邦共和制へ移行中であり、
マオイスト案ではこの連邦は「民族」によるものである。
すでに複数の連邦が勝手に連邦成立を宣言している。

本によれば、
基本的に民族の多様性は、その技能・知識・観点の多様性から生産性を高める。
しかし、多様な民族に「協働」させるのはそう簡単なものではない。
民族間の信頼は低い。
このような民族間の低い信頼の中でも、
協働させるには独裁体制か強力なリーダーが必要である。
但し、無能なリーダーを排除する力を有権者が備えていることが条件なのだが、
その無能なリーダーに代わるリーダーが現れないのが問題である。
(昨今の中近東情勢にも通じる話である。)

根本的には、民族間の違いよりも共通性をみつける(それか創る)のが、
一番良い解決方法ではないかと筆者は、
インドネシアのスカルノ政権やタンザニアのニエレレ政権を例に
説明している。
両政権とも、言語を中心に共通の国家アイデンティティを形成することに
成功している。
しかし、残念ながらこのような国家アイデンティティを形成しようとする試みは
少数であり、多くの発展途上国では自民族への優遇措置・縁故主義などで
民族間対立がますます激化する。

ネパールに関していえば、101もの民族による多様性を協働させるのは至難の業である。
90年代以前の国王によるパンチャヤット政権で、同化政策が推進され「協働」が図れたが、
ネパール語を中心とした国家体制に少数民族の不満が蓄積し、
パンチャヤット政権崩壊の火種となった。

90年代以降の私立学校の隆盛によって、
自由な言語習得手段が成立している。
また、近年の人権要求運動で
公立学校でも一部の少数民族言語での教育が
実施されるようになっている。

しかし、根本的なところで「ネパール人」としての
アイデンティティの形成が民主化以降あまり重視されて来なかった。
政治的なプロパガンダによる「反印」というネガティブな
「ネパール人」アイデンティティは一応あるような気がするが、
これは決して健全ではない。
海外に出てみるとやはり自分はネパール人という意識は、
もちろんある。
このような確認困難な、
また「他人・他国」を蔑んで成立する国家アイデンティティは
肯定的なものになりえない。

その点、言語は自己のアイデンティティをもっとも形成しやすいものである。
ネパール語による国家アイデンティティの形成は、
建設的かもしれない。
ただ、そのために90年代以前のような同化政策ではなく
様々な少数民族の言語をネパール語に取り入れられていくような
言語政策が必要なのかもしれない。
外来の少数民族の言葉をネパール語に取り入れて
いかにそれに皆がなじみやすくできるのかが重要ではないかと思う。

それと、少数民族の癖・方言も許容できる包摂がなければ共通語として成立しない。
次第に低下しつつあるが、少数民族の癖ネパール語に対する差別はひどい。
(さらに、ネパールの場合複雑な事に英語優先の教育も問題だが、
 これについては前回の記事を参考にされたい)

もちろん、国民全員に対する平等な機会が大原則である。
これが過去にできていなかったので、
アイデンティティ政治が広がりつつあると言っても過言ではない。




≪ トップページへこのページの先頭へ  ≫ 次ページへ ≫
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。