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(続)ヒンディー語問題:もう一つの視点

 2009-07-27
どうやら昨日の私の分析は的外れではなかったようだ。今日縁あって、京都でネパールのマデシ運動を研究している友人(ネパール人留学生)と話す機会を得た。

確かに、ヒンディー語問題はネパールのアイデンティティ問題に関わる。まず、そもそもネパール人はなぜヒンディー映画や音楽が好きなのに、なぜ公的な場でヒンディー語が使われると嫌がるのかだが、この背景にはインドへの従属+侵略への恐怖がある。特に、この意識が深まったのが1990年までのパンチャヤト時代における同化運動だった。当時は、多民族国家における様々な民族アイデンティティが抑圧され、統一のネパール人像、一つの言語としてネパール語が押しつけられた。この同化運動の根拠として政府によって示されたのが、インドからの侵略への恐怖だった。

しかし、連邦制の移行は多民族・多言語の様々なアイデンティティを包摂するものであれば、「ヒンディー語での宣誓は違憲」という最高裁による決定はリベラルではないというのがその友人の主張であった。ヒンディー語を母語としている人口はネパール全人口の1%ぐらいだが、地理的特質上(国境を越えたネ印結婚が多い)マデシ人口はインドとのつながりが大きい。それに、首都にだってヒンディー語の映画や音楽を聴く人が多いというのが彼の論拠だった。

私にはマデシの人々のヒンディー語のつながりがわからないし、娯楽用の言葉が権威の象徴である副大統領がなぜ使う必要があるのか、未だわからない。

いずれにしろ、現在「ネパール人アイデンティティ」を反印で求めるが、はたしてそれが真のネパール人アイデンティティだろうかというのが友人の主張だが、おそらく反印活動を進めるネパール国民やネパール政治家はここまで深くは考えていない。
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